晴
天
を聴く
晴天を聴く
昼下がり、という言葉が明確に何時頃を指すのかは知らないが、
いかにも風も陽射しも穏やかで、そんな単語であらわしたくなる午後のひと時。
俺は、ナミさんとロビンちゃんにお出しするスコーンの焼け具合を確かめながら皿を洗っていた。
たまの気まぐれでチョッパーやウソップが片付けの手伝いをしてくれる時
(皿代が勿体ないのであらかじめルフィには遠慮してもらっている)はあるが、
基本的には俺一人が存在していることの多かったダイニング。
しかし、船長が珍妙なる新たな仲間を船に乗せた時から、その日常は少しずつ崩れはじめていた。
「…おい、ブルック」
最後の一枚に着いた泡を落とし、水切りカゴに立てかけて、
リズムよく手についた水を飛ばしながら俺は目の前の男に声をかけた。
と言っても、その男は小窓の外を見ようと後ろをむいていたところだったので、
心象的にはその長身細躯にたたえる黒い塊に呼びかけた気分だった。
「はい、何でしょうサンジさん」
くるりと軽快に振り返ると、黒い塊はアフロと名を変え、世辞もいらない白い素顔をこちらに向けた。
リズムを合わせて、彼の細い指に摘まれたカップの中で、飴色の紅茶がゆるりと廻る。
そう、俺が俺のキッチンでたまに一人じゃなくなったのは
コイツが食後のティータイムを楽しむようになったからだった。
俺の呼びかけへの返答にさらに答えを返すのを止めて、代わりに少しばかり目の前のガイコツを観察した。
こんな姿でも、食事作法がなってなくても、セクハラでもお調子者でもアフロでも、
何故かコイツが紳士に見えてしまうのは、こうやって優雅に紅茶を飲む仕種が決まってしまうからだろうと
一人納得する。
「サンジさん?」
次の句を促されてから、俺は最初にコイツに声をかけた時何て言葉を告げようとしていたのかを、忘れてしまったことに気がついた。
「…お前は、外行かなくていいのか」
仕方なく、当たり障りのない台詞で間をつなぐ。
ブルックは俺の心の中のゼロコンマ何秒の葛藤に気付きもせず、楽しそうに何故です?と聞き返した。
「ルフィもウソップもチョッパーも外ではしゃいでんだろ。お前は行かなくていいのか?」
めでたくこの船最年長となった新しい仲間は、
よりによってこの船で一番幼い連中と馬鹿をやっていることが多かった。
まぁ彼らは、特に『楽しいことが好き』という共通項でひとくくりにできるんだろうとして。
ここ数日、雨こそ降らなかったにしろ気が重くなるような曇天が続き、
今日は久しぶりのせいせいするような晴天なのだ。
お子様連中は昼食が終わると一秒も惜しいといった感じで甲板に飛び出して行ったし、
愛しのレディー達も久々に日光を浴びたいのだと仲良く外でおしゃべりを楽しんでいるし、
あのマリモですら光合成をするためなのか陽の下で昼寝をしている。
そんな中で、この陽気なガイコツが室内で独り。
何だか違和感なのだと、そんな意を伝えた。
答える前に、アイツはお決まりのようにヨホホと笑った。
「私はいいのです」
「へぇ、珍しいな」
「私は、晴天を聞いていますから」
そう言うと、ブルックは意味ありげに口を閉じて黙した。
水音も止まってしまったからっぽのキッチンに、一気に外からの喧噪が飛び込んでくる。
ルフィ、ウソップ、チョッパー、お子様共のはしゃぐ声。
合流したらしいフランキーの掻き鳴らすギターの弦の音。
そして上品なコーラスのように時折挟まれるレディー達の笑い声。
なるほど、音楽家であるコイツらしい言葉だ。
「それに、今日はゆっくりこの部屋を眺めながら紅茶を飲みたい気分だったのです。
私にはまだこの船が珍しいですから」
外から響く音が全部混ざって一際大きく盛り上がり、フランキーのギター演奏への拍手喝采が終わるのを合図に
ブルックは絶妙なタイミングで言葉を次いだ。
コイツがどんな音に関しても完璧な演奏に仕上げてしまうのは、俺がどんな料理に対しても全力を注ぐ姿勢と通うものがあるのかもしれない。
「そうかよ。」
「えぇ。
…あぁ!しかし私せっかくここにいたんですから何かお手伝いしなければいけませんでしたね。
猫の手ならぬ骨の手ならお貸しできましたのに!ヨホホホホ!」
持ち上げていたカップを降ろし、立ち上がろうとしたブルックを手で制す。
「お気遣い無用。これも俺の仕事だ。…それより、紅茶。もう一杯どうだ?」
「ヨホ、いただきます」
再び外へ向いてしまったブルックに合わせて、俺も口を閉ざす。
静かだと思っていたキッチンには、湯を沸かす火の音、水の音。
また飛び込んでくるご機嫌なギターの音色と笑い声。そして止まない波の音。
自然緩んでしまった口元を背中で感じたのか、あぁ、すてきな音楽ですねぇ、と
我が船自慢の音楽家が歌うように呟く。
それこそがきっと、青空を讃える最高のメロディーだな、なんて恥ずかしい言葉が浮かんできたので、
口には出さず、煙草をくわえて誤魔化す。
指先で、銀のライターが、カチリと音を鳴らした。