雨の日に鳴く蝉



雨の日に鳴く蝉



数日前から降り続く雨は、相変わらず勢いを落とすことなく甲板を叩き小気味よい音を立て、
飽きることなく海の水を増やし続けている。
窓から覗く空はのっぺりとした灰色で、自然溜息も多くなる。
そんなくさくさした心を紛らわそうと思ったのか仲間達は、
示し合わせたわけでもないのに大食堂へ集合していた。


「なぁ船長、ひっどい雨だな」


正面に腰掛けた仲間の一人が、窓から視線を外さずに声をかけてくる。
指先で器用に回しているカップは、テーブルの上でガランガランといかにもつまらなそうな音を立てていた。

「この雨じゃ気分よく出航もできないし。かといって降りて町にくりだす気にもなれねぇしなあ」

俺の横で、二、三人がうなずく気配がした。

もう、この港に泊まって三日になる。
元々は心許なくなった食糧を補充するためだけに寄った町で、夜を越すことも考えていなかったのだが
碇を降ろした時の天候は生憎の雨で。
重たい空色に帆を上げる気になれなかった俺は
急ぐ旅じゃなし、どうせなら気分よく海を渡ろうぜと出港を遅らせたのだった。
俺と似た性根の連中ばかりが乗る船だから反対の声を上げる奴もいなかったし、
朝になれば太陽が明るい空に昇るものと思っていたのに。
航海士が楽観的に出した天気予報は大きく外れ、今も波間に揺られながら足踏み状態というわけだ。
硝子の向こうをいくら睨み付けてみても雲がどいてくれるわけではないが、
しかしこうなったら意地でも雲一つない青空に船を出してやる、と思う。

「その内止むさ。そしたら派手に宴をやって出港だ」

いつの間に話に入ってきていたのか、側にいた十人くらいがやにわに活気付く。
いいねぇ船長、と口々に言っては手を叩き、気の早いものは手元の楽器をポロリと鳴らしてみたりする。
あぁ早く、青空と風の気持ちいい甲板で思いきり音楽がやりてぇな、と隣に同意を得ようとして、はたと気がついた。

ブルックがいねぇな。

音楽が好き、という条件下で集まった仲間の中でも、特に音楽家らしい男。
宴だとか祭だとかいう単語にはいつもいの一番に食いついてくるくせに、
食堂の中にはよく目立つあの黒いアフロはいなかった。
この雨にふて寝でもしてるんだろうか。
そう思うと気になって、席を立った。後にした大食堂ではすでに宴では何を演奏するかの相談がはじまっている。
つくづく、祭好きなクルー達である。



船員の寝室に続く廊下を進むと、あっけないほど簡単に捜し人が見つかった。
彼は昼寝をするでもなく、廊下の行き止まりの壁に嵌め殺してある窓の側へ
わざわざ丸椅子を持ち出して座っているのだった。
足元には開けっ放しのバイオリンケースが置いてあるのに、彼の愛器は音を奏でることなく
ブルックの膝で出番を待っている。

「何やってんだ?ブルック」

気安く声をかけると、外の景色を伺っていたアイツがこちらを振り返った。

あぁ船長、ちょっと外を見ていたのです。
そう答えた声が囁くような声量だったので、喉でも痛めたのかと心配になった。

「…風邪でもひいたか?」
「どうしてです?」
「いつもより大人しいじゃねぇか。声も小っせぇし」
「あ。いや、違うんですよ。ヨホホホホ」

少しだけ声が元気になって、変わった笑い声が穏やかに、細い廊下を満たしていく。
コイツの、可笑しい時には本当に可笑しそうに笑うこの表情が、俺は好きだ。

「で、何してんだ。」

二回目になった質問を、今度は目を合わせて問うてみる。
それを聞いてまた微笑み直したブルックは、長い人差し指で窓の外を指した。

「音楽を聞いていました。」

音楽?
そんなもんどこでやってるんだ、と言いながら丸窓にぐっと顔を近づけると、
ブルックの人差し指はアイツの口元に移動して、静かにしろと俺に命じた。


ほら、聞こえるでしょう?


この3日間うんざりするくらい聞き続けた雨音の群を掻き分けて、この耳に届くのは。

「…蝉?」

緑の多い田舎島の、森の中から聞こえてくる、夏を告げる歌。

「音楽ってこれか?」
「そうですよ。蝉が鳴くのはねぇ、船長。求愛行動なんですよ。
ああやってパートナーを探すんです。  究極の恋愛歌じゃないですか!」

喜々として説明をする奴の顔は子供のようで。
心底楽しいんだろうな、とは思ったが、なんだか拍子抜けた気がした。

へぇ、とかふーんとか適当な返事をしていたら、アイツの肌の白い顔が窓の向こうを向いてしまった。
機嫌を損ねたかと焦り、何か言おうと思ったらブルックの方が先に口を開いた。

「雨でも蝉は鳴くんですね」

私、知りませんでしたよ。どこかを痛めたような声に、はっとする。

この悲しさを秘めた口調を俺は知っている。
王国護衛団という場所で、他の仲間より多くの血を見て来た男の声。
優しい彼の、優しさを司る場所に、爪を立てられた時の声。
どんな顔をして言ったのか、俺は見てやらなきゃいけないのに、
アイツの表情を反射する鏡になるはずの窓硝子は、水滴に覆われて使い物にならない。

「ブルック」

心配しすぎなんだろうが、懇願するみたいな声が出た。
いつも明るい奴だから、たまにこういう側面を見ると戸惑ってしまう。


「雨なのに、蝉は鳴くんです。誰も聞いていないかもしれないのに。
 せっかくあんなに頑張って歌っているのに、誰も聞いていなかったら…可哀相だな、と思って
 ここで聞いていようと思ったんです。」


振り向いた顔は、俺の予想に反して微笑んでいて。
心配した俺自信を、あぁなんて馬鹿だったんだと嘲った。
すぐ忘れてしまう。コイツは孤独を知っているけど、だからこその強さを持っている。

「彼らの歌が終わったらね、ちゃんと聞かせてもらいましたよって御礼をこめて
一曲献上しようと思ったんですけど…  なかなか終わりませんね。私の出番なさそうです。ヨホホ」

俺の知らない世界を、俺の知らない境遇を、確かに生きて来たこの男は
出会った時グラスの向こうに明らかな孤独を宿していて。
それは仲間との別れに潤んだのか、己の救いのない任務に憂いたのかまではわかれなかったけど、
とにかくたまらなくなってアイツを引っ張って船に乗せた。
だから多くの家族に囲まれて笑うブルックは俺の誇りだった。
こんな風に穏やかな目で笑うアイツは俺が創ったんだなんて傲慢なことまで考えたりもしてた。
でも、それはきっと違うんだろう。

爪を立てられ、握り潰されそうになったとしてもブルックの中に確かに在った
そしてそんな力に抗うことでより大きく、深く、暖かくなっていった

彼の優しさを、あの孤独が創ったのだとすれば。


「…弾いてくれ、ブルック」
「はい?」
「待っててもきっとあのコンサートは終わんねぇよ。ひと夏続くぞ?
 だったらそれより、俺はお前と蝉の歌の二重奏が聞きたい。今聞きたい。」


もう、船長はわがままですね。
子供をあやすようなブルックの優しい、笑顔。
細い指がバイオリンを膝から取り上げて、静かに構える。


讃えよう。
無力な俺は、ただただ強く優しい彼を。
歌うのだ、いつか。優しさを創ってくれた孤独さえ讃える愛の歌を。


では何を弾きましょうかねぇ、と森で鳴く蝉に相談する声が、涙硝子をふわりと撫でる。
森で今は独り鳴く蝉に、優しい男のバイオリンの音が届くようにと、俺は右手を握りしめ、祈っている。

雨は、今はまだ、止まない。


Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!